フィリピン少女とエスパチョーネ

2年前、朝まで私と飲み明かした友人Kは何の勢いかホームレスの男に1000円寄付をした。

どんな心情でその行為をしたのか未だに分からない。

 

昨日は西新宿でのレッスンであった。30分程早く最寄り駅へ到着してしまいゆっくりとコンビニへ飲み物を買いに行こうとすると、女の子が話しかけてきた。見たところ外国人であり、その貧相な格好をした彼女は小さなカードを片手にお願いしますとお菓子袋を差し出してきた。「コロナウイルスで職を失いました。お金がないので寄付をお願いします。」とカードには可愛らしいフォントで花の絵を添えてこう書かれていた。

急いでいるのでごめんなさい、そう言って私は足早くコンビニへと向かって行ってしまった。私の良くない部分が出ている。感情や衝動より直ぐに頭で考えてしまう。詐欺とまではいかないけれど、きっとこの少女の上には悪い大人達がいて人の情や良心に漬け込んでお金を巻き上げているのだと、そう疑ってしまうのだ。

レッスン中も先の少女の事が頭から離れなくなり、たとえお金を寄付しなくとも「頑張ってね」と一言言うだけでもすれば良かった筈なのにと自責の念に駆られる。

 

レッスンが終わり19時も過ぎたので外で晩御飯を食べようとずっと気になっていたラーメン屋に行くことにした。ラーメン屋の近くまで来た時、先程と同じ場所に先の少女が未だ立っているのに気が付いた。思い切って「また会いましたね」と声をかけてみると、私の事を覚えてくれていた模様で「間に合いましたか?」と笑いながら言ってくれた。たとえ自己満足といえど今この胸の中に押し固まってる靄を解消出来るのであればそれで良いと思い、寄付する事に決めた。「ごめんなさい、今手元に一万円しかなくそこのラーメン屋でお金を崩してくるので30分程待ってくれませんか」と言い、少女の顔が明るくなった事を確認してラーメン屋へ行った。

余談であるがこのラーメン屋は至極微妙なお店であった。不味いわけでもなく特に特徴もない普通のラーメン屋。ずっと気になっていただけあってとても悲しい。

ラーメン屋を後にして少女の元へ向かうと嬉しそうに待ってくれていた。お菓子袋は1つ500円であったけれど贖罪(笑)の念も込めて1000円寄付する事にした。ありがとうございます!とカタコトの日本語で言ってくれたので僕もすかさず「お互いに頑張りましょうね」と言った。頑張ってねだと他人行儀みたいで僕は関わらないと思われてしまうと感じだから。

 

その後少しだけその少女と話をしたのだけど、彼女はフィリピンから働きに来ているそうであるが職を失い母国へ帰るお金もないそうだ。さらに日本から帰るとなると迷惑もかかるそうなので非常に辛い状況である。

 

と今回こんなブログを書いたのにも理由があり、私は頭よりも感情や衝動で行動する癖を付けていきたいのだ。役者の勉強をしていてこの事はかなり重要なのである。台本があるから相手が次にどのような事を言うのか理解している、しかしそれをまるで初めて聞いたかのように錯覚させる為にこの衝動というのが必要だというのだ。

2年前、ホームレスに寄付をした友人Kのように僕もなっていこうと思う。