2月6日

2月6日

祖母が息を引き取った。

 

去年の夏お見舞いへ行った時に痩せ細って生気が失われてた姿を見るのが辛くて引きつった笑いをしてたのを覚えてる。

癌に侵されて入院と退院を繰り返し、自宅のベッドで相撲を観てた。楽になれたのかもしれない。

 

亡くなってしまったという実感が湧かず、悲しいという感情との狭間にいる不思議な気持ち。栞の時と同じやり切れないとは少し違う空になる気持ち。

これから生きてゆくにつれてこれが増えるとなるとやはり辛い。そしていつかは慣れてしまってこの不思議な気持ちが残念、悲しいと1つの気持ちになってしまうのは辛い。

 

祖母の家が同じ街にあったから僕は根っからのおばあちゃんっ子だ。祖母の事をばあばと、祖父はじいじと、そして伯母さんの事はねえねと呼んでいた。 成長して呼び方を変えるのは恥ずかしいから最期までこうやって呼んでいた。 

幼少期の頃の記憶というものは水性ペンみたいに濃いけど薄くて、あまり覚えていない。 だけど何故か鮮明に覚えている下らない事がたまにあって、今になると色々と思う事がある。

土曜日は一日中祖母の家に預けられて母親は何処へ出掛けてしまってた。 それは辛い事ではなくとても嬉しいことであった。猫好きな祖母とは気が合うし、引き出しに入っている恐竜の積み木は面白かった。 お昼になると祖父にお弁当を届けに行こうと仕事場まで散歩をするのが習慣だった、仕事場に着くといつも「じいじに渡してきてね」と頼まれてたのを覚えてる。 孫に持って来られるのが嬉しいからだと思っていたけど、本当は会いたくないからだったのかもしれない。 夕方になると祖母は1時間だけ突然姿を消してしまうのだ。いつの間にか気配が無くなってしまってシーンとなってしまうからその時間がとても嫌だった。

集会へ出掛けてただけだったのだが何も言葉が無かった。

頑固なんだろう。それも大が付くほどの。 小さい頃は気付かなかった。いつも遊んでくれるし優しいのが幼少期の印象。 でも本当は1人で溜め込んで頑張り過ぎちゃうからストレスも溜まっていたのだろう。

そういう頑固なところは母親と継いで僕にも残っている気がします。

 

 

 

亡くなったと母親から連絡が来た時に、僕も兄も最初に感謝の気持ちを伝えたいと言ったのは、そういうことなんでしょう。

数え切れないほどの感謝があります、ゆっくりと休んでください。ありがとうございました。